知られざる道東の真実シリーズ19

探検ファイルNO.037


羅臼マッカウス洞窟「ひかりごけ」の秘話



みなさんは、「武田泰淳(たけだたいじゅん)」という作家が昭和29年に発表した

「ひかりごけ」

いう作品をお読みになったことがありますか?

後半が戯曲になっていますので、舞台で上演されることが多く、松竹映画で三国連太郎主演で映画化されたりしていますので、お読みになっていなくても、内容をご存じの方も多いかも知れません。

そうです。

「人肉を食べる話」です。

そして、物語の舞台は

北海道の知床

なのです。
物語をご存じない方のために、簡単に内容を説明します。

前半は知床の羅臼を訪ねた作者の「紀行文」の形になっています。
「私が羅臼を訪れたのは、散り残ったはまなしの紅い花弁と、つやつやと輝く紅いその実の一緒にながめられる、九月なかばのことでした。」という文章からはじまります。

「私」は初秋の羅臼を訪ね、中学の校長に「マッカウシ洞窟(原文のまま)」に案内される。そこには金緑色に光る「ひかりごけ」が淡い光を放っていました。
その場で、「私」は校長から「ペキン岬の惨劇」の話を聞きます。

”「その船長は、仲間の肉を喰って、自分だけは丸々と太って、羅臼へやってきたんですからね。全く凄い奴がいますよ」(中略)
その「凄い奴ですよ」と笑う彼の口調は、たとえば同じ下宿の友人が、とんでもない失敗をしでかしたのを、冗談まじりで批評するような、無邪気で明るい口調でした。”

そして、「羅臼村郷土史」を編纂した「S君」によって事件の概要が語られます。
”昭和19年、船長以下7名の乗組員を乗せた海軍の徴用船「第五清神丸(原文のまま)」が知床岬近くの「ペキン岬」で難破し、船長と船員一人(西川)が小屋(番屋)にたどり着いた。暴風雪と極寒のため、彼らは閉じこめられ、飢餓のため西川は死亡したが、船長は晴天をついて羅臼に向かい生還する。
勇敢なる船長の戦時美談は村中に知れ渡るが、船長は多くを語ろうとしない。
ところが、5月に漁民がウニ採取のため、ペキン岬に行った結果、番屋内のおびただしい血痕とリンゴ箱に積められた人骨および人皮を発見。
警察の追求による船長の自白によると、西川の死後にその人肉を食べて生き残った事が判明。
船長は死体毀損・死体遺棄の罪に問われ、刑に服した。
しかし、「羅臼村郷土史」の中で「S君」はこの事件について「恐ろしい想像」が出来ると結んでいる。
船長および西川は最終的に死体が発見されなかった3名の肉を食べたのではないか。そして、船長は自分が生き延びるために、西川を「食べる目的」で殺害したのではないか。”
その「恐ろしい想像」から、「私」は文明人としての「殺人」と「人喰い」について思いを巡らせます。

「ひかりごけ」の後半は戯曲になっています。
第一幕は「マッカウシ洞窟」に閉じこめられた4人の男達の物語です。
登場人物は「船長」「西川」「八蔵」「五助」
最初に五助がだんだんと衰弱していきます。
五助は「一番先に死にたくない。おめえたちに喰われたくないから」と八蔵に語り、死んでいきます。
船長と西川は五助の肉を食い、八蔵は拒否します。
その結果、八蔵も衰弱していきます。
死に瀕した八蔵は西川に「人の肉を食った者は首のうしろに”ひかりごけ”に似た”光の輪”が出る。しかしそれは、人の肉を食った者には見えない」と言い残し、死にます。
八蔵の死体を食べた2人は飢餓に苦しみます。海に身を投げて死ぬという西川を船長は「そったらもったいねえこと、するもんでねえだ」と言って殺し生き延びます。

第二幕は法廷の場です。
検事は人肉を食べた「船長」を激しく非難し、罪を問います。
しかし、意見を求められた「船長」は「我慢しています」と言いはり、検事の怒りを買うのですが「自分は死刑になって当然」とも発言します。
そして「船長」は「あなた方と私は、はっきり区別できる。私の首のうしろには”光の輪”がついているから」と言うのですが、誰も船長の”光の輪”を見ることが出来ない。逆に裁判長・検事・弁護人・傍聴者のうしろに”光の輪”が輝いているが互いに誰もそれに気がつくことができない。

これが、「ひかりごけ」という作品の概要なのですが、
実は話の前半に出てきた「ペキン岬の惨劇」の話は

実際にあった出来事

を、元にしています。

そして、今回の我々の目的地がその作品で紹介された

「マッカウス洞窟」

なのです。
と、いうわけで、いつもの調子に戻らせてもらうが、
今回のテーマは

ちょっと重いかも知れない。

まあ、しかし探検の内容自体は、あいかわらずなので
ちょっと妙な感じの探検ファイルになるかも知れない。

えっ?いつも「妙な感じ」だって?
おまけに写真ばかりでファイルが重い?

こいつはおじさん、一本取られたね。

いつものように地図で説明しよう。

赤部分が知床近辺だ。


拡大図



探検決行日1998年10月4日(日曜日)

天気:晴れ
参加隊員:「テル」(隊員NO.004)「タク」(隊員NO.011)
     「けんいち」(隊員NO.019) 

この日は釧路の3名が「流星号」で中標津の「けんいちくん」と合流。
そこから、高速を誇る「まこ都号」に乗り換え。
今日は、運転も「けんいちくん」におまかせ。

私には非常に快適な探検となった。



まずは、昼食をとろうということになり、

標津の「亀代食堂」へ

「亀代食堂」については、探検ファイルNO.009の「叫び」と探検ファイルNO.016「バラサン沼」を参照していただきたい。

ところが、「亀代食堂」はお休み。
「タク」が亀代食堂に来たのは2回目だが、前回もお休みであった。

仕方がないので、標津町を羅臼方面へ前進する。
しばらく前進すると、どーんと奇妙な建物が視界に飛び込んできた。

私「なんじゃこりゃ」
けんいち「ああ、レストランです」
私「ニコライ亭?函館じゃあ、あるまいし」
けんいち「入ってみます?」

私「面白そうだ、入ってみよう」

実は探検隊の失敗はいつも、

この安易さからはじまるのだ。

特に「食べ物」関係は・・・。


内部は、結構広い。
一階はみやげ物を売る店が並んでいる。
めざす食堂は、二階にあるようだ。

私「うごっ」
タク「うわっ」
テル「ふげっ」

レストランの内部を見た瞬間に失敗に気がついた。
500名は入れるかという大スペース。
そこに、数組の客(飯時なんだぜ)
しかも、店内は色気もそっけもない。
近いものにたとえれば、

どこかの「社員食堂」風

外から見た趣味の悪さから期待した面白味は全くない。
しかたなく、それぞれが食事を頼む。

ちょっと面白かったのは、

ルーズソックスを履いたウェートレスがいた!

わるいけど、

いかにも「田舎者」

結構可愛い子だったんだけどね。(高校生のバイトのようだった)

もちろん、料理の味は最悪に近かった。
大量の観光バスと観光客を、大量生産でこなしているんだろうな。

あんなものを喰わされて満足してる観光客は

まるで観光ブロイラーだ。

「エサ」さえあたえれば、どんどん卵(お金)を落としていってくれる。


羅臼町へ移動。
羅臼に行っていつも感じるのは

ばかでかい家がやたら多い。

と、いうことだ。
三階建てはあたりまえで超豪邸ぞろい。
漁業というのは、そんなに儲かるものなのか。
しかし、北海道の他の漁業地域にこんな現象はない。

何か秘密があるに違いない。

税務署はちゃんと調べているんだろうな?

羅臼市街へ入ると、「羅臼川」の河口に大量のゴメ(かもめ)が群れている。
何かと思って降りてみると、鮭が遡上していた。

町の真ん中で、鮭の遡上が見られるなんて、

さすが知床だなあ



いよいよ、第一目的地の「マッカウス洞窟」へ移動。

洞窟の入り口です。

洞窟というよりも、「岩棚」という感じ。

入り口に立っただけで

なんとなくひんやりしている。

確かに何かを感じさせる。



洞窟内は湿っぽく、水滴がしたたり落ちている。
「ひかりごけ」をめざし、奥へ行く前に

親切な看板を読む。

看板によると「ひかりごけ」は
微妙な方向からしか光って見えないらしい。

「誰にでも簡単に見えるわけではない」なんて
ますます「武田泰淳」の「光の輪」だ。


これが「ひかりごけ」です。

えっ、あなたには見えないのですか?
それは恐ろしい!
「人の肉」を食べたことのある人には

見ることができないのです。

微細な静かな光です。

「ひかりごけ」はフィクションであり
この洞窟と食人事件とは全く関係ない。

しかし、武田泰淳の感覚が判るような気がする。
あるのか、ないのか注意しなければ判らない。

奥底にある「罪」の光

吹き消えてしまいそうな生命の光
それが「ひかりごけ」の光。

いつまでも見つめていたいような
怖くて目をそらしてしまいそうな不思議な感覚。

洞窟の上部は、岩盤がせりだしている。
実は歴史的な事実では、
私が尊敬し、道東探検の大先輩でもある

かの松浦武四郎が野宿した場所

でもあるのだ。
それも感慨深い。

江戸時代の探検家は、この洞窟で
どんな一夜を過ごしたのだろう。
その時も「ひかりごけ」は

淡い光をはなっていたのだろうか。




洞窟から外に出ると、天気は非常に良いのだが、

風が吹き荒れてきた。

いわゆる、「知床おろし」なのか。
今日は、時間と体力が許す限り、行けるところまでいってみる。
少しでも、惨劇のあった

「ペキン岬」に近づいてみたいのだ。


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